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受け継いでいく、祇園祭

※写真提供/祇園祭山鉾連合会

7月はいよいよ祇園祭。1000年以上の歴史の中、その時々の〝町衆〟が思いや知識を継承してきたからこそ、今も祇園祭を迎えることができます。先人から何を学び、それを次世代にどのようにバトンタッチしていくのか━。祇園祭にかかわる、さまざまな立場の人に聞いてみました。

普段の付き合いが深める町衆の心/祇園祭船鉾保存会・5代目理事長 古川雅雄さん

祇園祭山鉾連合会の監事でもある古川さんは、「祇園祭が楽しい。特に船鉾が話題になると、うれしくてたまりません」。古川さんの後ろの建物が町家。奥の蔵に船鉾が収められています

昨年の祇園祭から、「前祭(さきまつり)」(7月17日)と「後祭(あとまつり)」(7月24日)が約50年ぶりに復活しました。この前祭の最後尾を巡行するのが、「船鉾(ふねぼこ)」です。

祇園祭船鉾保存会の5代目理事長を務める古川雅雄さん(78歳)は、祭りを支える船鉾町の町衆をまとめる存在です。

中学生のときに伯父の古川家の養子に入ったため、「祭りの手伝いをするようになったのは高校生のころから。最初は、町家(ちょういえ)という集会所の掃除。道具類を磨いたり飾り付けたりで大忙しでした」

祭りへの意識が変わったのは45歳ごろ、運営する立場になってからです。

船鉾巡行の様子
※写真提供/祇園祭船鉾保存会

「それまでは自分の仕事のことで手いっぱいでしたが、人をまとめる難しさ、町衆組織の意義に考えが及ぶようになりました」 この10年ほどの間に町内にはマンションが建ち、住民数が増加。現在は150世帯が住んでいるそう。

「祭りは、住民の絆がないと続けられません。私たちの時代は、言葉で説明してもらえず、仕事は見て覚えるしかありませんでした。でも、今は今のやり方で、町衆の心を伝えていきたい」と話す古川さん。

そのために活用されているのが町家。2006(平成18)年に改修され、祭りのさまざまな仕事や会合のために町衆が集います。

「祭りの準備は1年がかり。ここで一緒に作業し、時には飲み食いをすることもあります。折に触れて話をするつきあいがあってこそ、心が伝わると信じています」

厄よけの願いも込めて鉾町へ/30年以上ちまきを作る 北村容子さん、辻繁子さん、辻純子さん

「若いときに比べて、手が遅くなりました」と言いながら、稲わらの先を丸めた芯をササの葉で覆い、イ草を巻き付けて、形のよいちまきを次々と作っていきます(右から北村容子さん、辻繁子さん、辻純子さん)

祇園祭の〝ちまき〟といえば厄よけのお守り。巻く紙や飾りは山鉾町ごとに違うものの、芯の稲わらをササの葉で巻いた部分は同じです。

このちまき本体を代々作っているのが、上賀茂・深泥池周辺に住む女性たち。現在、30軒ほどで担っています。

「祖母が、一つ一つ丁寧に作っている姿を見て育ちました。本格的に作るようになったのは、結婚して子育てが一段落したころからです」と話すのは北村容子さん(70歳)。

出来上がったちまきは、山鉾町に納めるまで家で保管。「日に焼けて色が悪くならないよう部屋のカーテンを閉めて、ちまきには布をかぶせています」(北村さん)

自分の家の田んぼで天日干しした稲わらと、仕入れたササの葉やイ草を使い、家の仕事の合間に一人で作業するのだそう。取材に訪れた日は、同じくちまき作りをしている義姉妹の辻繁子さん(80歳)と辻純子さん(67歳)も集まってくれました。

「家の難をよけてくれる大切なお守りやから、丁寧に形よく仕上げるようにしています」と北村さん。技だけではなく、こういった思いも祖母から受け継いでいるようです。

「今の心配は高齢になった人がいつまで元気に作り続けてくれるかということ。大切なちまきのことを若い世代に伝えていきたいと思っています」。繁忙期には、京都市内から北村さんの娘も駆けつけ、手伝いをしてくれるそう。みんなの思いは、こうして次の世代へと受け継がれていきます。

見物客の目を楽しませ続けることに感じる誇り/「屏風(びょうぶ)祭」を行う藤井絞4代目・藤井浩一さん

蔵に保管されている調度品の数々。「今では手に入らない価値の高いものばかり。当日は社員総出でしつらえていますが、扱いには非常に気を使います」と藤井浩一さん

山鉾が“動く美術館”と称されるのに対して、“静の美術館”と呼ばれるのが「屏風祭」。宵山のころ、山鉾町の商店や旧家で所蔵する調度品や美術品が飾られます。北観音山の町内に位置する「藤井絞」では、絞り染め呉服の製造販売業を営む社屋の1階で、北観音山の模型なども合わせて披露されます。

「以前の店舗からここに移転したときに始めました。昭和9年のことです」とは藤井絞3代目の藤井正昭さん(73歳)。展示されているのは、初代が収集した美術品です。

「見物客の目を楽しませる華やかな行事。昔は、もっと多くの家々で行なわれていたんですが、手間暇かかることですし、少しずつ減ってきました。私たちは毎年続けることに誇りを持っています」とは、現在、「屏風祭」の采配を振る4代目、娘婿の浩一さん(44歳)。

ただ、時代に合わせて変える柔軟性も必要とのことで、「今年は琳派400年との関連で、ゆかりの日本画家・神坂雪佳の作品を中心に飾ろうと思っています」。

続きの4間に、網代(あじろ)を敷きつめて行われる藤井絞の「屏風祭」。「うちは、表の格子越しに鑑賞してもらっています」(藤井浩一さん)※写真提供/藤井絞

浩一さんの小学2年生の息子は、今年の秋、祇園祭の囃子(はやし)方に入る予定なのだそう。

「せっかく山鉾町に生まれたんですから、毎年やることをよく見て、自分で感じ、考えていってほしいと思います」

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