ホーム > > 特集:社会・生活 > 「広辞苑」制作の舞台裏へ

「広辞苑」制作の舞台裏へ

ずっしりと重みがある辞書「広辞苑」(岩波書店)。その編さんを手掛けたのが、明治から昭和に活躍した国語学者・新村出(しんむらいずる)さんです。鞍馬口にある旧邸宅は、ゆかりの文献を保存・公開する施設となっています。こちらでは、4月に広辞苑にまつわる資料の展示スペースを新設。編さん者の仕事への情熱を感じられるスポットです。

新村出さんの邸宅は、木戸孝允の家の一部を移築したものだそう。その建物を改装し、1981年に重山文庫が開かれました

赤字で訂正が書き込まれた原稿に用例をまとめたカード、掲載が検討された外来語の記録。細かい字で書き入れをした作業の痕跡は、「広辞苑」を作り、改訂してきた編さん者の息遣いが感じられるものばかりです。

広辞苑の編さんに関わるこのような資料が見られるのは、地下鉄「鞍馬口」駅の西側に立つ「新村出記念財団 重山(ちょうざん)文庫」。新村出さんゆかりの文献を保存・公開しています。

「これまでは貴重書などを閲覧する研究者への対応が主でした。一方で一般の見学者も多く、もっと見てもらえるものがあればと考えていたのです」とは、新村出さんの孫にあたる新村恭さん。4月、同財団の嘱託に着任したことをきっかけに、新たな試みを始めました。

「広辞苑の編さんに関わる資料や新村出ゆかりの品を幅広い層に公開するための展示スペースを作ったんです」

【左】このたび設けられた展示スペース。「資料はまだまだあります。これから整理して、さらに展示を充実させていきたいと思います」(新村さん) 【右】入り口正面にある、書斎を再現した空間。机には、新村出さんが使った筆やすずりが置かれています


展示スペースは、元は新村出さんの書斎。こうして資料が並んでいると、先ほどまで新村出さんがここで編さん作業をしていたかのようです。

展示は1969年、1983年に発刊された、広辞苑第2・3版の制作に関わる資料が中心とのこと。目印の紙がびっしり挟まった広辞苑から、改訂作業で数々の項目が見直されたことがわかります。

資料の書き込みを見ながら「これは私の父、そちらは兄の筆跡です」と新村さん。次世代に引き継がれた新村出さんの辞書作りは、現在の広辞苑制作に続いているのです。

歴史上の有名人との交流を伝える写真も

広辞苑に関わる資料だけではなく、新村出さんの写真なども展示。結婚の記念写真や親族との集合写真が見られます。

中には少年時代の写真も。新村さんによると、こちらを撮影したのはある有名な人物だそう。誰かというと…。

「江戸幕府の最後の将軍・徳川慶喜が撮ったものです。山口県の関口家に生まれた出は、その後、静岡県に転居。13歳のときに幕臣の新村猛雄の養子となりました。猛雄は慶喜の側近で、家もすぐ隣。義理の姉は慶喜の側室でした」

【左】額に入った少年時代の写真が、徳川慶喜が撮影したもの。京都大学の図書館長時代の写真も展示
【右】完成後に、新村出さんが書き入れをした広辞苑も残ります


展示スペースのほか、勝海舟の書が飾られた応接間、昔の風情を残したままの庭も見どころ。入り口の正面には、新村出さんの書斎を再現した空間があります。

「辞書を作っているとき、どのような雰囲気で仕事に打ち込んでいたかをイメージしてもらえたら」

北区小山中溝町19(地下鉄「鞍馬口」駅から徒歩5分)、TEL:075(411)9100。祝除く月・金曜の午前10時~正午、午後1時~4時開室。土日の見学は応相談。見学無料。

このページのトップへ