ホーム > > インタビュー

インタビュー

歌手 川中美幸さん

1955年大阪府吹田市出身。
1977年川中美幸として歌手デビュー。1980年「ふたり酒」が100万枚の大ヒットを果たす。
「芸能生活四十周年 川中美幸特別公演」は3月5日(日)~25日(土)。
チケットなどの問い合わせは、新歌舞伎座テレホン予約センター=TEL:06(7730)2222=へ

好きなことを続けられる―。感謝して責任を果たしたい

今年芸能生活40周年を迎える、川中美幸さん。「ふたり酒」「二輪草」などの大ヒット曲を持ち、ファンに癒やしと元気を届け続けてきました。歌手として舞台に立ち、多くの人を楽しませることをなにより大切にしているそうです。3月5日(日)から大阪新歌舞伎座で行われる「芸能生活四十周年記念 川中美幸特別公演」を前に、心境を聞いてきました。



「母親譲り」という天性の明るさで「人を楽しませることが大好き。誰かの笑顔を見ると、自分まで幸せな気持ちになる」という、歌手・川中美幸さん。

「私、今61歳なんですけど、正直この歳まで歌わせていただけるなんて、思っていなかったんです。浮き沈みの多い厳しい芸能界。私も先輩たちのご苦労を、たくさん見てきましたからね。決して甘くないこの世界で、好きな歌を続けさせていただけるなんて、こんな幸せな人生はないと思います」

それだけに「自分自身が、常に元気な明るい姿でお客さまの前に立ちたい。それが自分の務めであり、責任だ、そんな思いが、年々強くなっている」と。

「時には、体調や精神状態の良くないときもあります。そんなとき、自分からテンションを上げるんです。ステージに出る前に、スタッフやバンドさん相手に冗談の一つや二つも言って、バーンと笑かすんですよ。それが、幕が開いたときの笑顔につながるんです」

そんな川中さんですが、17歳のころ別名で歌手デビューしたものの、ヒットに恵まれず、東京から大阪に戻ってきたことも。

その時「一人でよく京都のお寺に行きました。お寺にいると、心が落ち着くというのか、清められるんですね。京都は、私を元気にしてくれた街です」。

母の介護で気付いたのは笑顔にすることの大切さ

プライベートでも心を痛めたことが。

「双子のように仲がいいといわれた」母が病に倒れ、その介護を、すべて自分一人で引き受けたことです。一時は、仕事を半分ぐらい減らし、病床の母に寄り添う日々が続きました。

「お母ちゃんのためなら、これも本望!」と思っていても、しだいに「このままでいいのだろうか…」と思い始めることに。だんだん気持ちもふさいでいき、パニック状態になることも。

そんな中で、気付いたのが「私がきれいに装って元気で歌っている姿を見るときに、母が心からの笑顔を見せるということ」でした。「ジャージー姿の私が、付きっきりでお世話をするのも介護だけれど、母を笑顔にする“心の介護”は、もっと大事やって思ったんです」

それから、川中さんは、再び歌手活動に力を入れていきます。「今は、母の介護も夫やヘルパーさんに甘えながらやっています」

そして、3月に迎える「芸能生活四十周年記念 川中美幸特別公演」では、松井誠さんの特別出演で、浪花情緒たっぷりの人情芝居「めおと喧嘩ラプソディー」と、「川中美幸オンステージ 人 うた 心」を展開。

「今の時代は、とにかくお客さんに元気になってもらいたい。ですから、テンポのいい、明るくて笑いのあふれる舞台にしたい。大エンディングでは、新曲『津軽さくら物語』にちなんで、盛大に桜吹雪が舞う予定です」

川中さんの弾むような語り口から、パワフルな輝きの秘訣(ひけつ)が、心地よく伝わってきました。

(文・あさかよしこ

バックナンバー

更に過去の記事はこちら »

このページのトップへ