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明智光秀ゆかりの地へ

1月から、明智光秀を主役にしたNHK大河ドラマがスタート。ゆかりの地といえば〝本能寺〟が有名ですが、京都にはほかにもその足跡をたどれる場所があります。特に縁がある長岡京市や大山崎町にも注目! これからさらなる盛り上がりが期待できそうですね。※いわれには諸説あります

明智光秀とは
・1528年(※)、美濃国(現在の岐阜県)に生まれる
・織田信長の家臣になり、重用される
・1582年、本能寺の変で信長を討つ
・本能寺の変の直後、山崎合戦で豊臣秀吉に敗れる
※1516年とする説もあり
光秀、娘のガラシャと
縁のある城が長岡京市に

勝竜寺城公園

やぐら風の管理棟が立つ勝竜寺城公園。西側の土塁の上、天王山を望める場所には山崎合戦について記された看板も

山崎合戦の際、豊臣秀吉に敗れた光秀が撤退した先が〝勝龍寺城〟。

「光秀は明け方に北門から出て坂本城に向かったと伝わります」と、長岡京市観光戦略・地域経済推進担当の上田真嗣さん。「勝竜寺城公園」を案内してくれました。

「北門は枡形虎口(ますがたこぐち)という守りの堅い構造。勝龍寺城は当時最先端の石垣・瓦・天守を備えていました」

見逃せない点がもう一つ。この城は光秀の娘・玉(ガラシャ)が、細川藤孝の嫡男・忠興と新婚時代を過ごした城でもあるのです。昨年11月にリニューアルされた管理棟内の歴史展示コーナーで、4人の生涯を詳しく知ることができます。

長岡京市では他市町と協力して、2011年から光秀とガラシャ、藤孝・忠興を題材にした大河ドラマの誘致活動を実施。署名運動やイベントでのPRなどを続けてきました。

「ついに!という気持ちです」とは、同担当の篠原千裕さん。「光秀がきっかけで長岡京市を訪れた人がリピーターになってくれるよう、今後も季節ごとの観光情報発信などに力を入れます」

  • 歴史展示コーナーでは、パネルや映像で光秀、ガラシャ、藤孝、忠興を紹介

  • 「長岡京市やほかの光秀ゆかりの市町に足を運んでもらえたら」と篠原さん

長岡京市勝竜寺13-1(JR「長岡京」駅から徒歩約10分)、TEL:075(955)9515(長岡京市商工観光課)。午前9時~午後5時(4~10月は午後6時まで)、無休(年末年始除く)

大山崎町の山の麓が秀吉との
決戦の舞台

天王山 夢ほたる公園

遊具があり、子連れの姿も多い天王山夢ほたる公園。この辺りが合戦の舞台となりました

〝天王山〟といえば、光秀が秀吉と戦った山崎合戦の舞台であることから、天下分け目の決戦の地として知られていますね。天王山を先に制した秀吉が、その後の戦いを有利に進めたといわれています。

「天王山夢ほたる公園に、『天下分け目の天王山 山崎合戦古戦場』と記された牌が立っています」と話すのは、大山崎町政策総務課企画観光係・横瀬詩織さん。「公園の周辺、小泉川を挟んだ一帯で戦いが繰り広げられたようです」

「大山崎町のさまざまスポットに注目してください」(横瀬さん)

西国街道沿い、大山崎町役場から南に約400m行ったところには、合戦の火ぶたが切られた「東黒門跡」も。

「こうした場所を訪れる観光ツアーも開催。大山崎町歴史資料館で光秀に関する企画展を開くなど、大河ドラマ誘致活動の一環でさまざまなPR活動を行ってきました」

また「『大山崎ふるさとガイドの会』の皆さんは山崎合戦に関連したガイドブックを作成中です」と横瀬さん。地元住民の活躍もみられそうです。

大山崎町円明寺松田(阪急「西山天王山」駅から徒歩約15分)

本陣が置かれたのは?

光秀軍が山崎合戦の折に本陣を置いたという「御坊(おんぼう)塚」。いったいどこを指すのか、これには二つの説があります。

1カ所は、長岡京市の恵解山(いげのやま)古墳。火縄銃の弾が多数出土したことなどから、本陣が置かれたとの見方が出ています。

もう一つは、恵解山古墳から600mほど離れた境野一号墳(大山崎町)。周囲より標高が高く合戦場となった小泉川周辺が見渡せる立地だったため、本陣跡と考えられてきました。2カ所を訪ね、自分なりに推測してみるのもいいですね。

  • 恵解山古墳は乙訓地域最大級の古墳。現在は埴輪(はにわ)が並ぶ公園に

    長岡京市勝竜寺、久貝2丁目地内(JR「長岡京」駅から徒歩約20分)

  • 境野一号墳の南側に、案内板と石碑が立っています

    大山崎町字下植野宮脇1-107(阪急「西山天王山」駅から徒歩約20分)

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