別れの後に見つけたこと

〝あの人と話したい〟と感じてもらえる僧侶を目指して

対象を檀家や信者に限らず、私服姿で病院や高齢者施設へ傾聴ボランティアに行くという石倉さん。話すことで気持ちが落ち着き、考えが整い、気力が湧くよう相手を支えたいと言います

「僧侶の役割とは何だろう?」。上京区にある宝樹寺の住職・石倉真明(しんみょう)さんは、ある「別れ」の体験から、そう考えたと言います。

「ある日、月参りで檀家(だんか)の女性を訪ねると『体調が悪いから、来月はお休みさせて』と言われました。そして約半年後、その方のご親族から『葬儀をあげてほしい』と連絡を受けたんです」

その女性が生きているうちに、できることはなかったのか―? そう感じた石倉さんは「僧侶は死以後の儀礼を行うだけでいいのか」と悩みます。

しかしその後、ある勉強会で、石倉さんは一つのヒントを見つけます。相手の話をさえぎらず、ただ耳を傾ける「傾聴」について学ぶのです。

「そうすることで相手の苦しみがやわらぐという話でした。実際に、檀家さんの話を聴くように努めたら、どの方も晴れ晴れとした表情に変わりました」

石倉さんは2010年に、有志僧侶が宗派を超えて学ぶ「傾聴僧の会」を結成。
「僧侶のあり方を問い、傾聴技術を磨き、いま生きている人たちの援助を目指しています。

不安や孤独感を募らせている方の苦しみをやわらげ、軽くし、無くすることが僧侶の役割だと思います。葬儀や法事以外でも、つらいとき、『あの人に話したい』と思い出してもらえる存在に変わっていきたいです」

〝助けて〟と素直に言えれば前に進める

「これまでに数々の別れを経験してきましたが、そのつど周りの人に助けられてきたと思います」と話すのは、読者の村上眞知子さん(66歳)。

中学卒業後、単身京都へやって来た村上さんは、20代のころ、実家で暮らす母・ミユキさんが46歳の若さで末期がん宣告を受けたと知ります。

「故郷に戻り、必死に看病しましたが、数カ月後に母は亡くなりました。『自分が早くに家を出て、心配をかけたせいでは』と思いつめ、心身のバランスを崩すほど苦しかったです」

現在は、2人目の夫とともに料理店を営む村上さん。常連客が「ママに元気をもらいに来たで」と、かわるがわる顔を見せることが多いのだそう

このとき、村上さんを支えてくれたのは、故郷の友人だったそう。

「『ちゃんとご飯食べてる?』『食べてないなら、一緒に食べよう』と言ってくれたことがうれしかった。その後京都に戻ってからも、1人目の夫と離婚したり、実家の妹が亡くなったりといろいろありましたが、周囲の励ましで頑張れた。だから私も、困っている人がいたら声をかけられる人間でいたいんです」

そんな村上さんには、最近気になることがあると言います。

「人に心を開けない人が多いことです。自分の悩みや弱さを隠し、いいところばかりを見せたがる人が多いのでは? その結果、困っている人を遠ざけようとする風潮も生まれていると思う。つらいときは一人で悩まないで、自分から人と接していくことや、自分の信じている人に“助けて”と相談してみる勇気が、いま必要だと思います」

天国の娘が私を園児の〝母〟にしてくれた

園児らとの思い出の写真、卒園のとき保護者がプレゼントしてくれた手作りのアルバム、誕生日に同僚からもらった色紙…。それらに囲まれた島田さんは、自然と優しい笑顔に

「昭和42年の夏、私は女の子を未熟児出産しました。『どうか生きて』と祈り続けましたが、小さな命のともしびは消えていきました」。こんな経験をしたのは、左京区の島田夫佐枝さん(76歳)。その後、離婚を経て、母・キヌエさんが暮らす京都の実家に戻ってからは、悲しみから家に閉じこもりがちだったと言います。

約1年がたった春、島田さんはキヌエさんに誘われて、自宅近くの鴨川堤へ花見に出かけます。

「満開の桜の下、母から幼稚園教諭募集の記事が載った新聞を手渡されました。『今のあなたなら、きっといい先生になれるよ』と背中を押され、求人に応募しました」

こうして、出産を機に辞めていた幼稚園教諭の仕事に再び就いた島田さん。最初は「小さな子を見るとつらくなるのでは」という不安もあったそうですが、「思いきり甘えてくれる園児らが、私を悲しみから救ってくれた」と言います。

園長時代の一枚。行事があると魔法使いに扮(ふん)して登場し、子どもたちを喜ばせていたとか(写真提供/島田さん)

「『この子たちに何かあれば、私が喜んで身代わりになろう』という気持ちが自然と湧きました。亡き娘が私に授けてくれた母性だったのかもしれませんね」

いつも本気で園児たちをかわいがり、時には叱る島田さんは、やがて「名物園長」となり、73歳まで勤め上げます。

現在は、胎児や妊婦の支援団体でのボランティア活動に従事。「最期の日まで精いっぱい生きたい。娘には『もう少し待っていてね』と呼びかけています」

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