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街角の石碑

街を歩いていると、時々目にする石碑。そこに刻まれている文字を見ると、「えっ、ここにはそんないわれが?」と発見をすることもありますね。周囲の雰囲気がどんなに変わっても、土地の歴史を今に伝えてくれる街角の石碑。ちょっと立ち止まって眺めてみませんか。

坂本龍馬の幸せな一日に思いをはせて

今年は龍馬が亡くなって150年。幕末の日本を駆け抜けた龍馬の幸せいっぱいの結婚式。そんな姿も目に浮かびます

坂本龍馬といえば、ドラマに取り上げられたりと、ファンも多い幕末の人物。その坂本龍馬が、妻・お龍と結婚式を挙げた場所が京都にあるのです。

それを示す石碑が、三条通の白川橋を東へ進んだマンション前にある「坂本龍馬 お龍 『結婚式場』跡」。2009年、NPO京都龍馬会が建てたとのことで、同会の理事長・赤尾博章さんに話を聞きました。

「この場所にはかつて、青蓮院の塔頭(たっちゅう)・金蔵寺があり、そこで1864年に龍馬とお龍が『内祝言』を挙げたんです。金蔵寺はお龍のお父さんと関係が深い寺でしたので、住職が仲人をして、身内が集まって結婚式をしたといわれています」

祝言を挙げたのは、池田屋事件や禁門の変が起こった後で、京都は混乱の真っただ中。この当時、坂本龍馬は勝海舟の弟子として、江戸と京都を行ったり来たりしていたのだとか。大変な状況のなかでも、お龍との新婚生活は龍馬に安らぎを与えていたのでしょうね。

多才な芸術家・北大路魯山人は上賀茂生まれ

「魯山人は人間国宝の打診を受けたほどの人物。結局は固辞しましたが、そんな人が上賀茂出身だったことを知ってもらえたら」(藤井さん)

上賀茂の住宅街で見つけたのは「北大路魯山人生誕地」と記された石碑。カキツバタで有名な大田神社の鳥居の前に立っています。

北大路魯山人(1883~1959年)は陶芸家、書家、画家、篆(てん)刻家であると同時に、美食家としても知られる才能豊かな人物です。没後50年である2009年、上賀茂自治連合会、上賀茂社会福祉協議会、賀茂県主同族会、賀茂文化研究会、賀茂別雷神社と京都市が協力して、この石碑が建立されました。

上賀茂文化推進委員会の会長で、上賀茂自治連合会副会長でもある藤井豊一郎さんは、「魯山人は上賀茂の社家に生まれました。この石碑は、上賀茂文化推進委員会とPTAが協力して地元の小学生に地域の歴史を教えるオリエンテーリングのコースにも入っています。こういう人が地元出身ということを、子どもたちにも知ってもらいたいと思っています」。

足利尊氏による幕府の中心地は、今、ビル街の一角に

京都府保健事業協同組合の入り口、階段の横にある石碑。6月ごろには植え込みのアジサイの花が咲いて、石碑を彩るそう

続いて訪れたのは、地下鉄「烏丸御池」駅近くのビル街。ここに室町時代の痕跡があるのです。それが、京都府保健事業協同組合の敷地内の植え込みにある「足利尊氏邸・等持寺跡」と書かれた石碑。

「建てたのは1995年。組合の創立45周年の記念事業の一環として作りました」と同組合事務局長の北條武司さん。この辺りには、室町幕府を開いた足利尊氏(1305~1358年)の三条坊門第という邸宅があり、そこで尊氏は政務をとっていたのだとか。まさに、幕府の中心地だったのです。

その後、この邸宅は足利氏の菩提(ぼだい)寺である等持寺に改められました。そのため、「足利尊氏邸・等持寺跡」と記されているのです。

「2年ほど前には解説文のプレートを作り直しました。立ち止まって見たり、写真を撮ったりして、見てくれている人も多いんですよ」

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