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探ってみれば、共通点が見えてくることも 京都の3巡り

京都は見どころがたくさん。中には「三大祭り」のように、それぞれのテーマで〝三本の指に入る〟とされるものがあります。今回は珍しい鳥居、寺の門などをピックアップしました。巡ってみれば、京都の新たな魅力に出あえるかも。キャラクター〝3ちゃん〟がナビゲートします。
※選定やいわれには諸説あります

三珍鳥居

形の珍しさとその謎が魅力

なぜこの形なのかは分かっていないみたい

  • 木嶋坐天照御魂神社「三柱鳥居」(右京区)

    「三柱鳥居」が立つのは、〝糺(ただす)の池〟の中。水は枯れていますが、7月の御手洗祭のときは水をため、手足をつけて無病息災を祈願します

  • 厳島神社「唐破風鳥居」(上京区)

    厳島神社の「唐破風鳥居」。17世紀、五摂家の一つ・九條家が付近に邸宅を造り、同社を鎮守の社としたそう

  • 伴氏社「蓮座石鳥居」(上京区)

    【上】伴氏社は菅原道真の母をまつっています。北野天満宮の摂社・末社のなかでもあつく信仰されているのだとか。鳥居は鎌倉時代の作

    【左】台座には、ハスの花びらの形が刻まれています

神社にお参りするとき、必ずといっていいほど目にする鳥居。ですが、〝三珍鳥居〟は、趣が違います。

一つは、「三柱(みはしら)鳥居」。〝蚕の社(かいこのやしろ)〟と呼び習わされている太秦の木嶋坐天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社の鳥居です。一般的には柱は2本ですが、こちらは名前の通り3本。その理由など、詳しいことは分かっていないといいます。

京都御苑内・厳島神社の「唐破風(からはふ)鳥居」は、上部の横柱がそり曲がり曲線状を描いた形です。同神社の宮司を兼務する菅原院天満宮神社の宮司・宇佐美伸二さんは、「平清盛が寄贈した鳥居。貴重なものとして大切にお守りしています」。

最後は北野天満宮の末社・伴氏社(ともうじしゃ)の「蓮座(れんざ)石鳥居」。柱の台座に、ハスの花びらの形が刻まれているのが特徴です。

「ハスは仏教では極楽に咲く花。神仏習合を色濃く反映しているのではないでしょうか」とは、北野天満宮権禰宜・東川楠彦さん。

こうした謎も面白さのようです。

京都三銅像

有志の力で再建、京都ゆかりの偉人たち

みんな有名人なんだね

  • 坂本龍馬・中岡慎太郎像(東山区)

    大柄な坂本龍馬(左)と、小柄な中岡慎太郎の体格差を考慮したデザイン。毎年3月には、京都高知県人会による像の清掃が行われています(写真提供/京都高知県人会)

  • 高山彦九郎先生銅像(東山区)

    場所は三条大橋東詰。すぐ近くには、初代の像の建立跡を示す石碑が建てられています

  • 角倉了以像(右京区)

    1988年に再建。角倉了以の菩提(ぼだい)寺にあたる二尊院には、この像の〝レプリカ版〟も(写真提供/フィールドミュージアム京都)

まずは、三条大橋近くで地面に手をつく「高山彦九郎先生銅像」。誤解されがちですが、〝土下座〟ではないんです。これは、御所を拝んでいる彦九郎の姿。江戸時代、彦九郎が群馬から京都を訪れたとき、まず三条大橋から御所を伏して拝んだというエピソードにちなんでいます。

坂本龍馬と中岡慎太郎は、ともに京都で命を落とした人物。円山公園の「坂本龍馬・中岡慎太郎像」は、その功績をたたえるために京都高知県人会が中心となって建立しました。

嵯峨に生まれ、朱印船貿易などを行った豪商・角倉了以。舟運のための工事をした大堰川を望む、嵐山公園内に銅像がありますよ。

実は、第二次世界大戦中、金属不足のため撤収されていた〝京都三銅像〟。その後有志により再建されたのは、京都へのひとかたならぬ思いがあった偉人だったからかもしれませんね。

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