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京の階段コレクション

住宅地にある階段。その何げない風景には、歴史的背景が隠れていることも。地形から町の歴史を探り、観光ガイドなどで活躍する「京都高低差崖会(がっかい)」の“崖長”・梅林秀行さんが、階段にまつわるエピソードを紹介してくれました。さまざまな時代の風景を、階段が教えてくれましたよ。
※いわれには諸説あります
※地図内のはしご印が階段です

紙屋川沿いにある、深い堀の名残

御土居周辺(北区)

〝階段案内人〟は「京都高低差崖会」の梅林秀行さん

「堀の深さは最大4mほど。こちらの衣笠公園横の階段は長く、5段階に区切られています」と梅林さん

ぼく、「ダンダン」も一緒に案内するよ

北大路通に上がれる、南側の階段

1591年、豊臣秀吉が築いた防壁・御土居(おどい)。敵からの攻撃に備え、外側には堀を巡らせ、土を盛ったとりで(土塁)が造られました。北は鷹峯、南は九条通、東は鴨川、そして西は北野天満宮の西側を流れる紙屋川の辺りに沿って、京都の町をぐるりと囲んでいたといいます。

「東西の端は、それぞれ川を利用して堀が整備されました。紙屋川沿いには、堀の遺構である低地と、御土居跡周辺の住宅地とを結ぶ階段が多数あるんです」と梅林さん。そこで、御土居の北西部にあたる紙屋川沿いのエリアを北上し、階段を探してみることに。

スタート地点は北野天満宮の少し北。蘆山寺通と交わる紙屋川沿いの道を進むと、早速左手にある「衣笠公園」の南隣に階段(写真【1】)を見つけました。

「紙屋川に面して設置された階段です。以前はこの階段の一番下の段辺りまで、御土居の堀が広がっていました。今は川幅が狭くなって道ができています。階段を上がった先は御土居の外側にあたる住宅地。堀を狭めて公園や家、道を造ったため、階段が必要になったんです」

次は紙屋川沿いの道と、北大路通が交差するポイント。北大路通が上を走り、堀の部分がトンネルになっています。トンネルの両端には、北大路通に続く階段がありました(写真【2】)。「近代に入り、堀をまたぐようにして北大路通が開通。北大路通を見上げると、堀の深さを実感できますよ」

この電柱の下まで水が流れ、堀になっていたんだって

佛教大学近くにある階段は幅1mほどの狭さ。土塁の上だった場所に続きます

先に進むと、御土居跡に広がる住宅地に出るよ

左手に広がるのは、土塁の形が保存された「御土居史跡公園」。盛り上がった土には木が植えられています。もともと土塁の上には竹林が広がっていたとのことなので、当時の様子が伝わってきます

紙屋川の東側、佛教大学近くには住宅に挟まれた階段(写真【3】)が。「奥の階段の下までが、御土居の堀の部分。階段の上は土塁が築かれていた場所です。土塁の上に建てられた住宅と、堀にできた道とを階段がつないでいます」

町の中に溶け込んでいる御土居の、本来の姿を感じさせるのが「御土居史跡公園」。南側には、公園に隣接する住宅地へと階段(写真【4】)が続きます。「土塁の上にできた住宅地に行くための階段です。御土居は江戸時代以降に壊されていきますが、“土地の記憶”は簡単には消えません。階段の高低差によって、御土居の存在が確かめられます」

※御土居ライン…御土居の土塁が築かれていた想定地

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